正倉院ノート

「二月堂」 

二月堂は、修二会が始まる頃とだいたい同じころに建てられたと言われます。
修二会が始まったのは、752年。大仏開眼供養会と同じ年であります。

では、それ以前はここになにがあったかと申しますと、福寿寺というお寺がありました。

もともと、この辺りから東大寺が始まったと言われます。

この、二月堂から三月堂・四月堂にかけた辺りを、上院地区と呼びますが、この上院地区が東大寺の中でも一番古いスポットになります。

その上院地区に、この二月堂の前に存在した福寿寺がありました。。

福寿寺は天平10年(738)に光明皇后が建てられたお寺であります。

その前には、基王の冥福を祈った、山房がありました。神亀5年(728)

聖武光明夫妻はここに、177巻もの観音経と177体もの観音様を奉納し、毎日毎日祈願を続ける。


ここからは、私の単なる個人的な想像なのですが、

修二会は基王の冥福を祈るためのもの。

そして、この二月堂の本尊は絶対秘仏であります。
大観音と小観音の二体あるようです。
これ、僕は何となくお父さんと息子さんのようにも思えるのです。

この東大寺の修二会というのは、お母さんの光明皇后の壮大なる愛情のこもった法要であるともいえると思います。

聖武天皇は天平勝宝8歳(756)5月2日に亡くなった。56歳だった。

 それから49日が過ぎた6月21日、光明皇后は聖武天皇が大切にしていた六百数十点の品々を東大寺の大仏に献納した。これが正倉院宝物の始まりとなる。

 なぜ、光明皇后は聖武天皇の遺愛の品々を献納したのだろうか。

 普通、ご主人が亡くなって大切な品が残されたとき、奥さんはそれを自分の手元に置いて(少なくともしばらくは)大事にするものだ。よほどイヤなご主人で、亡くなってせいせいしたという場合は別だが……。そうであるならば、なぜ光明皇后は聖武天皇の遺品を手元に残さず、すべてを手放してしまったのか。

聖武天皇が大切にした品々は光明皇后にとっても思い出の品であったはず。それが手元にあれば、当然のことながら目に触れるだろう。目に触れると、さまざまなことが思い出される。聖武天皇が元気だった頃のこと、ふたりが幸せだった日々のこと。それがあまりに悲しくて、そして辛くて、光明皇后には耐えられない。悲しみの余り、心が崩れ、摧〔くだ〕けてしまう。そうであるならば、思い切ってすべてを大仏に献納し、あわせて聖武天皇の冥福を祈りたい。光明皇后が宝物献納を決意したのは悲しみに耐えられなかったからである。

宝物に聖武天皇の痕跡を見出すたびに、光明皇后の体の奥に刀で切られたような鋭い痛みが走ったのではないか。分かる気がする。私的なものほど思い出は深くなる。正倉院宝物は、ひとりの女性の耐え難い悲しみから生まれたことを記憶しておきたい。

聖武天皇遺愛の品々を大仏に献納した同じ日に、光明皇后は60種の薬を21合の唐櫃に納めて大仏へ献納した。聖武天皇は若い頃から病気がちだったので、これらの薬は聖武天皇のために集められたものであろう。しかし聖武天皇はもういない。薬があってもそれを服する大切な人がいない。それでは意味がない。目に触れると辛くなるばかり。そこで光明皇后はこれらの薬も大仏に献納することを思い立つ。献納時の目録である『種々薬帳〔しゅじゅやくちょう〕』をみると、これらの薬は病に苦しむ人たちのために用いてもらいたいものであり、これを服すと「万病悉除(どんな病気も治る)」「千苦皆救(どんな苦しみも消える)」と書いてある。そしてさらに「無夭折(幼くしてしぬことはない)」とあるのが胸を打つ。

 光明皇后の子どもは夭折した。

『種々薬帳』の文言を記しながら、光明皇后は今は亡き聖武天皇のことを思い、そして同じく今は亡きわが子のことを思ったに違いない。これらの薬は光明皇后の願い通りに使用され、光明皇后が創設した施薬院にもしばしば提供された。それでも60種のうち40種が正倉院に現存しており、正倉院展にも時折展示されている

1歳の誕生日を迎えるその直前に愛しい息子を亡くしたという出来事が、
この夫妻の心の奥底に一生涯こびりついてゆきます。
「心の傷」。
今風でいうと、メンタル持ちといったところでしょう。
光明は、世の人々に「病に苦しんでいる人のために必要に応じて薬物を用い、服せば万病ことごとく除かれ、千苦すべてが救われ、夭折することがないように願う」
この光明皇后の想いとはいったい何なのでしょう。
「自分の子供は赤ちゃんで亡くなってしまったけれども、皆さんの子供は元気で育って下さい。」と言っているのです。
本心から願っているのです。
実際に、願いどおり薬物は持ち出されて病人を救うために役立てられたようです。
光明皇后は、貧しい病人に施薬や施療をするための施薬院や、貧窮者や病人、孤児などを救うために悲田院を創設しました。
仏教に深く帰依し、東大寺大仏造立を成し遂げた天皇が大仏開眼からわずか4年で崩御されたため、皇后はたいそうお悲しみになったようです。もともと、体が丈夫でなかった天皇を心配してさまざまな薬物を揃えていました。

そして、なによりの薬はこの光明の慈悲深い心です。
幼児虐待事件が続き、親子のいさかいが絶えない時代に、奈良にはこんなにすごい道徳的薬があります。

虐待家庭にこの薬をぬってゆきたいです。
 
「聖武光明御陵」 
聖武光明夫妻は、非常に仲のいい夫婦でありました。
こちらご覧くださいませ。
今も仲良く御陵もぴったり引っ付いて、並んでいます。
自分たちが日常使っていたものが、約1300年後にこんな人気になってるなんてその品々を使っていた当時は想像していたでしょうか。
この御陵からどのように正倉院展の盛況をご覧になられておられるでしょう。

ではここで、もう一度、先程の国家珍宝帳をご覧ください。

先程の願文の前、これがこの国家珍宝帳の最後の品になります。

みなさんこれ、なんだと思われますか?

ベッドです。

光明にとって、これが一番の思い出の品であったのではないでしょうか。

ふたりの思い出がぎっしりと詰まったこのベッドを、聖武天皇の死後、部屋にぽつんと残されているのを見て、あらゆる思い出が噴出してきてやりきれなくなったのだと思います。

もちろん、本人に聞かないと分からない事ですが、
「触目崩摧」のその対象の品は、このベッドではなかったかなと思うのです。

最初の出会いの時、二人で仲良く過ごした日々、基王を身ごもった時、苦しい時代に支えあった事、
様々な思い出が噴出してきて、耐え切れなくなり全てを手放したと思われます。

「心が軽くなっている時代」

生まれたばかりの幼児が、放置され衰弱死する事件が絶えません。
親子どうしで殺しあう事件もいっこうに減りりません。
自殺者数も目を覆います。

もう、打つ手はないのでしょうか。

一つの要因として

「心が軽くなっている時代」

もあると、私は考えます。

昨今、仏像ブームなるものが流行りだして久しいですが、

私はこの仏像ブームにも、「心が軽くなっている時代」を見てしまいます。

この世に存在する全ての形あるものには、それに携わった人々の切なる思いが染み込んでいます。

~ こころ と かたち ~

これが一対になって初めて、寺社参拝や展覧会鑑賞が完成するものだと、私は考えます。

仏像ファンの方達が求めているもの。

崇高なる美しさ、かわいさ、癒し、イケメン・・・。

もちろん、これらを求めてゆく仏像鑑賞も、とても素晴らしい事であります。

美しいものを見たままに、ストレートに美しいと感じる感性。

とてもとても、素晴らしい事であります。

しかし、

昨今の仏像ブームは、形のみに偏りすぎているように思えてならないのです。

“製作者の意図”

これが、あなりにも小さくなりすぎているように思えてなりません。

当然のことですが、仏像は誰かが造らないと存在しません。

その誰か、つまり発願者や製作者はどのような思いを込めて、その仏様を造ったのでしょう。

おそらく、「仏像を作ろう、お寺を建てよう」と思う人は、苦しい人悲しい人辛い人、だと思ってまず間違いありません。

なんの悩み事もなく人生バラ色だらけの人が、「仏像を造ろう、お寺を建てよう」なんてまず思うはずありません。

製作者は、藁をもつかむような思いで、すがるような思いで、切実な思いを込めて仏像を造っているはずです。

大切な人がもういよいよ旅立とうとしているその時、

「もう駄目かもしれない。」と分かっていながらも、
「助けて下さい。救って下さい。」と心の奥底から必死に祈りながら。


昨今の仏像ブームは、その心の部分が置き去りになっているように思えてなりません。

「どこそこのお寺で秘仏が公開されるらしい。」

多くの仏像ファンは、素早くそれらの情報を察知し、長蛇の列を作られます。

たくさんの参拝者の中で、その秘仏の精神部分を鑑賞されている方は、どれほどおられるでしょうか。

また、

仏像というものは古ければ古い仏像ほど、その仏像に対して手を合わせ祈りを捧げた人々の数も膨大です。

飛鳥・奈良時代に造られた仏像であれば、約千三百年以上もの長い時間の中で、いったいどれ程の人々が切実な思いを込めて祈った事でありましょう。

お寺のお堂に安置され文化財として管理される仏像には、何万・何十万(人気のある仏像ならもしかすると何億)もの人々の切なる気持ちが染み込んでいます。

これら各時代の参拝者の、けなげな祈りの心を汲み取ってゆくという鑑賞方法が、心が混沌とする現代社会にとって大切になってくるものだと私は思います。

歴史の中の気持ちを汲み取ってゆくという訓練を重ねると、周りの人たちへの気持ちの汲み取り方も変わってくるように思います。

虐待、殺人、誹謗、ハラスメント、詐欺、いじめ、差別、テロ、戦争・・・。

これら、全部減ってゆくのです。

無くなってゆくのです。

聖武天皇は、「動物も植物もみんな一緒に幸せになろう」と訴えました。

近づいてゆけるのです。

~ こころ と かたち ~

「歴史の中の気持ちを汲み取る」という訓練の場として、奈良はこの上ない聖地であります。

奈良のあちらこちらに、キラリと光る教材が点在しております。

もちろん、正倉院宝物においても、心を学ぶ教材として最高級の至宝であると私は思います。
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Author:奈良入門ガイド
歴史のもっとその奥へ!!

「歴史や寺社に興味のない人も、楽しくためなるご案内!」をコンセプトに、奈良入門ガイドや入門講座をやっています。
歴史文化を、どう日本人の糧と薬に出来るか日々模索中。歴史の心を全国に広め、世界の秩序向上に貢献出来れば幸いです。
「人々の安全保障」(全生物の、生活と生存を守ること)に貢献する事を、当面の目標としています。
奈良大学卒、奈良検定最上級、京都検定初級。

歴史精神文化というツールを用い、世の安寧を目指してゆければという願いを込め、京都の「平安」と奈良の「寧楽」を合わせて「安寧会(あんねいかい)」と名付けています。

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